日本語に限った話ではないが、話をわかりやすく喩えるために慣用句を使って表現することがある。文化や言語域に於いて共通の認識を呼び起こさせて、ひとつのことを表現するための構文を短く単純化させる機能がある。
仙台牛タン店、存亡の危機
牛海綿状脳症(BSE)による米国産牛肉の輸入ストップが続き、仙台名物の牛タン焼き店が存亡の危機にひんしている。(略)生き残りをかけウナギやラム肉、豚タン、馬刺しなど苦肉のメニュー開発を余儀なくされている。
[共同通信社:2005年08月19日 07時25分]
肉に関するニュースを報じる記事だが、「苦肉のメニュー開発」という表現はいかがなものか。「苦肉」と表現する直前に「ラム肉、豚タン、馬刺しなど」と書いてしまっては、まるでそれらの肉がまずい(苦い)肉であると通信社が宣言してしまわないだろうか。たしかに、日本人の牛肉信奉は、米と並んで宗教的ですらある。
だからといって、羊肉・豚肉・馬肉を「苦肉」と並べて表記することに対して、不公平性が無いとは言えない。
苦肉の策、、、という慣用句に頼った手抜きな表現であることも理解できないわけではないが、通信社の多くはせっかく大学卒業者でかためているのだから、もっと幅広い柔軟な表現を用いることができるはずなのだが。いったい、何のために大卒なのか。何のための採用試験なのか。
要するに、思いやりに欠けると言うことだ。そして報道には思いやりは不要だということなのだろう。
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