この頃の小学校では、「いただきます」言いません宣言が流行しているらしい(?)。永六輔のラジオの投書から拡がった話題のようですが、世の中では論争になっていません。ネットを検索してみても、全然論争ではなくて、「いただきます拒否宣言」拒否、みたいな論調になっています。これって、論争とは言いませんよねぇ?
「コトバへの取り組み」などで繰り返し述べていますが、大手報道機関の大きい字とか太字とか見出しとかに市民はさんざん踊らされているのです。ではどうして、世間は「論争になっている」と解釈したのか。
考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争
TBSラジオ「永六輔その新世界」(土曜朝8時半~、放送エリア・関東1都6県)で昨秋、「いただきます」を巡る話題が沸騰した。きっかけは「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」という手紙だ。番組でのやり取りを参考に、改めて「いただきます」を考える。
【文・遠藤和行、写真・米田堅持】毎日新聞 2006年1月21日 東京朝刊
いい加減にしろ、だ。「ラジオで大論争」って書いてあるだけで、世間は「世間で大論争になっている」と思うのだ。デリカシーのないタイトルを付けた(と思われる)遠藤和行のちょっとした無責任さが、世間を混乱に陥れた(かもしれない)。まったく、困るねぇ。
ところで、本題ですけれども、イマドキの小学生の母といえば、新人類以降のヒトが多いと思われる。つまり、書類上はキチンとした教育を受けてきたことになっているのに実は曖昧な教育しか受けられず教養のない人たちが多い層だ。あー言えばこー言う世代だ。戦前の「教育を受けられなかったから教養がない」層よりもタチが悪い。
そして、人付き合いを否定しているのかもしれない。日本にはガイジンがびっくりするくらいいっぱい自動販売機があるし、鉄道の改札も自動化されて、自動販売機で切符すら買わない。そんな世の中なので、感謝なんてしたくないというのもまぁ何となくわからなくもない。そもそも、「感謝する」ということが理解できていないのかもしれない。料金を支払うことが感謝することに替わるものと思っているのだろう。
でも、学校給食費はたぶん全額負担ぢゃありませんから(公立校の場合)!!
給食費を支払っているからいただきますは言わせない、と主張するならば、給食費が半額負担ならば「いただ(きます)」だし、3割負担の給食費なんだったら「いただき(ます)」だ。偉そうな顔をして何かを主張するならば、もう少し深い思慮が必要なのではないかと……思われますが。
【関連リンク】
- deblog
半分くらい毎日新聞の引用ですが、その他に日本の有名アニメが輸出されてどう英語表現されているか、紹介しています
やれやれなニュースで初めて聞いた時にはほんとにびっくりしました。しかし、飲食店をやっていておもうのは、「いわゆるかわいい」格好をした若い女の子は食べ方がすごく汚い。で、その子が母親と来たりするとその母親の食べ方にもがっかりする。あー、この親に育てられた子なんだあ。と。にしてもほんとにびっくりするくらい着ている洋服の感じと食べ方の汚さは比例していていつか学会で発表したいです。