県境をまたいだ合併で、合併前から反対派の理由だったことが、今頃になってまたニュースとして報じられている。
“美濃の馬籠宿”に不安も
平成の大合併で、長野県の旧山口村が岐阜県中津川市と全国唯一の県境を越えた合併をしてから1年が経過した。旧山口村では観光面への不安を訴える声もあるが、大きな混乱はなく、新たな地域づくりが進んでいる。馬籠宿は、旧山口村にあった旧中山道の宿場町。“信州の馬籠宿”としての印象が強く、合併で引き続き観光客が訪れるかどうかについて、不安を隠せない関係者も多い。
[共同通信社:2006年05月07日 16時50分]
山口村が岐阜県になったからって、美濃を名乗らなければならないという理由はどこにあるのかさっぱりわからない。山口村は信州なのだから、「岐阜県唯一の信州」とか宣伝して大々的に売り出せばよかろうに。何も、現在の地名が変わったからって旧名称まで変える必要がどこにあるってんだろね。どうせ、そんなことで悩んでいるのは老人たちだけなんだ。ってゆうか、もしかして山口村は老人しかいないか?
現在は岐阜県だけれども、その昔には信州だったという歴史は変わらないわけで、それって「21世紀になったから《二十世紀梨》も《二十一世紀梨》に名称をかえなければならないから、面倒だね」とか言っていた日本のどっかの梨農家の老人と同じ発想だね。日本人に対する教育って、そーゆーんだっけ? 長いものに巻かれなくてはならなくて、過去は水に流さなければならないと思いこんでいるような感じがする。そろそろ、過去を大事にすることを始めてよさそうなものだけれども。
【参考リンク】馬籠観光協会