と、わくわくしていた。PHSの通信会社がたくさんあった時代で、電機メイカーは小さいケータイを作ることに熱心だった。機能はシンプルに通話機能+それなりの電話帳機能くらいで、小型の鞄くらいあったものが完全にハンディサイズとなり、それからどんどん手のひらサイズに小さくなっていった、あの時代だ。
あれから何年経ったことか、「ケータイはどこまで小さくなれるか」競争はすっかり収束してしまった。ネットに繋ぐモバイルツールとして、ある程度のディスプレイのサイズが必要になってしまったからだ。そのかわり、仕方がないので薄さ勝負をしている機種もないわけではないけど。世界最小かもしれないニッポン製のケータイも、最初から中国の市場向けでニッポンでは全く販売されなかった。
でも、ホントに小さいモノだけが礼賛されていていいのだろうか? やはり、モノにはそれに見合ったサイズや重量というものがあってしかるべきなのではないか? ……と思っていたら、こんなコトしてるヒトがいた。さすがだ。
携帯音楽プレイヤーも、阿呆みたいに小さいモノとかあるけれども、その小ささがどこまで必要とされているモノなのか、いまひとつ判然としない。そのような不安は、スヰッチ部分で解決せよ、……ってゆうか、もうちょっと大きいスヰッチを買ってくれば、本体はそのスヰッチの筐体に収まったりするんぢゃないの? 小さい本体の性能が、世の中では活かされきれていない見本でもある。
そういう意味では、ゲームボーイの筐体に突っ込んだ例の方は、かなり凝っている。まぁ、凝ってはいるのだけれども、少々ツメが甘い。これでもっとキッチリやるヒトが作ったモノだと、もっと面白い、仰天するモノができるのかもしれないのに、惜しいっ!!
ケータイも、不要な機能が──いや、不要かどうかすら解らない必要とは思われない機能がやたらと追加されて、ケータイを携帯すること自体がちょっと鬱陶しい感じになっている。ケータイの忘れ物がかなり多いようだが、ちょっと置いちゃうくらい邪魔な存在なのだ。たいていの市民は身につけていられないのだ。メイカーは買い換えを促進するために、わざと盗難に遭ったり紛失したりしやすいデザインにしているのでは!!
ならば、できるだけ小さいケータイを入手して、こんなのはどうだっ!!
「ぢりりりりりっ」ってベルが鳴るので、鞄からおもむろに黒電話を取り出して通話、と。本気で欲しい逸品ですね。これぞ、携帯電話だぁっ!! って感じがしますね。いや、電話を携帯してるだけですけど。
ただダウンサイジングしていくのも、未来を想像しているようで楽しい。けれども、懐古主義的に偏りすぎない範囲で、昔を思い出して、昔の技術に敬意を払ってみるのもいいのではないかと思われます。なぜそのサイズが必要なのか、あるいはなぜそのサイズが必要ないのか、考えを巡らせてみるだけで一晩悶々とできます(たぶん)。