プルタブ回収する手間とか労力とかをもっと違うことに転換できれば、社会はもう少し良くなるものだと思います。あるフリマガに、こんな投書が。
●先日郵便局に年賀状を買いに行った時のこと。普段数え切れない位のゴミの回収日に出していた空き缶の「プルタブ」が沢山窓口にあり、どうやら集めているとのこと。それがたくさん溜まると車椅子と交換出来るらしいです。ふと、こんなことで人助けが出来るんだなぁ?!! と思い、それからプルタブ集めを始めました。車椅子が手に入って、誰かの脚になった瞬間の喜ぶ姿を想像するとうれしくなっちゃいます。人が喜ぶ姿って最高じゃありませんか?。皆さんも一緒にはじめませんか。プルタブ集めを!
(■■市 缶ジュースさん)
──缶ジュースさんのように1人ひとりがそんな風に思いやりを持てば、もっとすばらしい社会になりますよね。まずは出来ることから実践! してみませんか?
事実を正しく調べたり確認したりせずに、ただ雰囲気で、よい側面だけを見て掲載してしまったようです。プルタブは直接的に車椅子に変化したりしません。プルタブがどのようにして車椅子になるのか、その過程が無視されています。そして、そもそも車椅子は足りているのか不足しているのかどうなのか、調べた形跡がありません。このままでは、このフリマガを通じてプルタブを集めたりすることになるかもしれません。
その善意、面倒なだけで無駄になりますので、プルトップは、切り取らずに!!(まとめ)をよく読んで、よく理解するところからはじめてください。それが面倒でしたら、こんな言い方ではどうでしょう?
- 車椅子1台を購入するためには
- プルタブ200万個くらいをの廃アルミを換金する必要があり
- 缶飲料が1箇100円だとしても、2億円の消費です
- (缶まるごとならば5万個ですから1箇100円としても500万円の消費です)
- そもそも、地域の資源回収で本体のアルミ缶はどう扱われてるか知ってますか?
- 廃アルミとして材料屋に売り飛ばして
- たとえば町会費として町に還元されたり、
- 自治体の税収を補填したりしているだけです
- その金額まるごと、何かに寄付する気はないでしょうか?
- ないですよね。
- 何故、何かに寄付する動きにならないかというと
- どこの誰にどのようなカタチでおいくら万円寄付する必要があるかわからないからかもしれません
- プルタブを集めて、燃料を燃やしてどこかに収集場所へ持参したり、運賃かけてどこか取りまとめ場所に送るならば、その燃費や運賃を現金で誰かに寄付した方が、社会の役に立つことでしょう
- でも、指を怪我するリスクを負ってまでプルタブをちぎり、ちまちま集めて、自分が頑張ってる感じ、味わいたいですよね
- プルタブ集めって、誰かの役に立つことが重要ではなくて
- プルタブ集めって、自分が何かをしている充足感を味わうための行動
こんな感じで、いかがでしょう?
この話は、善意から生まれた勘違いだから、ややこしくなるんだ。「何もしないより、何かした方がいいでしょっ!!」とかキレられても、その通りなので反論しにくい。でも、何かした方がいいけれども、それによって誰がどのような恩恵を受けるのか、その恩恵はもっと違うカタチで授けられないのか、よーく考えてみた方がいいでしょう。
もっと詳しい情報は、プルトップは、切り取らずに!!(まとめ)でも眺めてみてくださいね。
埼玉県の平和ボケなヒトが
「プルタブ何個必要」とかグーグル先生に質問してるようです。
アホか。
200万個もプルタブを集めることを楽しむなら
さっさと缶まるごと5万個集めて換金して寄付したらどう?
それよりも500人から100円ずつ集めて5万円寄付するとか。
まぁ、ニッポンのボランティア活動ってニッポン人のレジャーなので
どうしようもないですけど。