ただ効率的に製造することばかりに重きを置くニッポン。
迦葉山龍華院の手水鉢に水を吐き出し続ける龍ですが、きっと寒いから冬期には割れるのでしょう。そして損壊しちゃったのかもしれません。
作ったヒトは、そのことについて想像できなかったのかもしれません。名前の売れているセンセーに作ってもらったけれども、そのセンセーは寒冷地仕様とはどのようなコトなのか理解がなかったのかもしれません。もしかしたら、予算等の都合でどこからか既製品を持ってきて置いただけなのかもしれません。あるいは、趣味人な檀家がくれたのでしぶしぶ置いているのでしょうか。
だからって、皿ねじを打ち付けた龍を、寺の入口の手水鉢の上に置く? 宗教的にどうとかこうとか興味は無いのですけれども、迦葉山の関係のみなさまとは美的感覚が共通しないな、と思いました。
ネジをねじこまれた龍は、翔べるのでしょうか?