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デザインに対する哲学


モノのデザインというのは、デザインするヒトだけでは成立しないものです。他には、クライアントの理解とか、予算とか、その他のオトナの都合だったり。

近頃は、何でもその時の金額を下げることに注力するあまり、デザインはほどほどだったりすることがあります。また、施工が簡単な方法ということで、三次元のモノを切ったり貼ったりせずに、インクジェットでシート出力して、立体的に見せるための影まであらかじめ付けておく、ということもよくあります。

理由としては、施工が簡単で工期が短いことのほか、その場所でその商売を長く続けるわけではない、という傾向もモノを語っているのではないかとも思われます。残念です。

今にも取り壊されようとしている都営住宅(?)の壁に、こんなモノがくっついていました。

たぶん都営住宅

おそらく、棟番号18を示していると思われるアイアンのオブジェ。そういえば、こういうの、たくさんありましたよねー。小さいタイルで番号をモザイク表示したり。イマドキなら、簡単にペイントかカッティングシートなどで済まされちゃう案件かもしれません。

このプレートも、鉄くずとして処理されちゃうんでしょうね。どっかグラフィックデザインとかアーキテクトデザインとかの巨匠が、1から順にあるだけ譲り受けたりして、何かに再利用したりしないものなのでしょうか。──あり得ませんね。そこだけ別に撤去する費用、どこかへ運搬する運賃、どこかへしまっておく賃料。

せめて、このようなデザインが成立した時代があったということを、忘れないように書き留めておくことにします。

あー、手書きの筆文字で進めてたのに、東京から偉い教授が来て「手書き? だめ。全部明朝体でカッティングシートで」って理由も告げずに指令したのを思い出した。


Posted in デザイン
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一木努さんという、古い建物の解体現場に行ってはカケラを集めてくるというコレクターがいらっしゃいます。
いま、その方が40年以上もの長い間で集め続けた個人コレクションを公開した展覧会が、江戸東京たてもの園でやっています。期間は3月1日までです。
公の機関で、こうした収集をしているとは聞いたことがありません。貴重なモノだと思いますね。

おもしろそうだ。
ちょっと見てみよう。

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