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北鴎碑林に行ってみた


松前藩のお膝元として栄えた町、松前郡松前町。その松前町出身の書家、金子鴎亭さんをフィーチャーして、松前公園の上の方に北鷗碑林なるものが整備されたのが2008年10月。

  • 正しくは「金子鷗亭」「北鷗碑林」だが、コンピュータによっては文字が表示されないことがあるため、部分的に「金子鴎亭」「北鴎碑林」と表記した

フィーチャーと言っても、生誕100年を記念して作られたということらしいので、わりと最近のヒトなのですね。鷗亭さん。本名は、金子賢蔵、1906年生まれ。

北鴎碑林

列車で行こう!! とか思ってみたモノの、JR松前線は1988年に廃止されていた。 ε=(ノ_ _)ノ

松前公園を散策しながら遭遇することを想像して、松前公園の駐車場にレンタカーを置いて、まずは腹ごしらえ。北海道といえば、鰊蕎麦?

駐車場は松前藩屋敷Pを利用

蕎麦屋を出るときに、お店のヒトに「碑林って、歩いて行かれますか?」と訊ねてみた。渡島半島って、崖から海に一気に落ち込む地形をしているので、坂道だらけなのだ(函館の町から推して知るべし)。沿岸に漁港、そして国道228追分ソーランライン、ちょっと内側に旧街道っぽい街並みがあって、実際の集落はそこからのぼったところにあるのだ。風雪や波浪から身を守るために、そうなっちゃったのだと思いますけど。

松前公園を背後に背負う松前城も、のぼったところにある。

……だから、どのくらい登るのだろう? と心配になったのだ。天気はそれほど良くない。年老いた両親も連れている。

そしたら、松前藩屋敷というところの駐車場まで車で上がり、そこからすぐだと教えてくれる。訊いてみるものだ。改めて地図を見てみると、驚く。城下町の通りから、かなり遠い。ってか、こんな遠くまで上り坂を歩くつもりだったのか……ε=(ノ_ _)ノ

ようやく碑林の入口へ到達

とんでもない勾配の坂道をいくつか登ると、藩屋敷への案内が密になってきて、いきなり駐車場が広がる。駐車場のすぐ目の前に、石碑群がすぐに見える。これか。碑林め!!

銘板

金子鷗亭先生は、近代詩文書の父と呼ばれ、我が国第一級の書家で、書道文化の振興発展に多大な業績を残し、最高の栄誉である文化勲章を受章されております。

平成17年、社団法人創玄書道会は、創立者であり偉大な書家である鷗亭先生の生誕100年を明年迎えるにあたり、鷗亭先生の功績を末永く讃えるとともに、ふるさとを書道文化の発信地として、石碑建立を計画され、松前町を訪れ松前公園を適地として定めました。

平成18年、精力的に活躍されていた金子卓義理事長が無念にも志半ばにして急逝されましたが、創玄書道会の揺るぎない絆の下、鷗亭先生の石碑13基と門人の方々の石碑71基を製作し、これを松前町が寄贈を受け、ここに設置したものであります。

金子鷗亭記念「北鷗碑林」は、国内最大級の石碑群となるもので、文化の香り漂う書のまちづくりをすすめる松前町にとって、なにものにも代え難い貴重なものであり、訪れる人々を必ずや書の世界へ誘ってくれるものであります。

平成20年10月12日

金子鷗亭記念 北鷗碑林 竣工記念事業推進協賛会
名誉会長 川村 正
長 前田一男

ずらりと並ぶ13基の鷗亭碑。そして、中央には、金子鷗亭本人の像が、筆を持って立っている。書家であることを一目で表すのには筆を持たせたかったのでしょう。

金子鴎亭像

バイオリニストはバイオリンを手に持ち、キーボーディストはキーボードを担いでたりしますから。

鷗亭像の背後の空き地の回りには、桜や楓などの木が植えられ、小径が整備され、そちらに門人たちの碑がずらりと並んでいるのです。

ちなみに、桜はまだつぼみで、あと10日くらいするとイイ感じに花開くのではないかという感じでした。そのかわり、ヒトだらけになっちゃうと思いますけれども。下手すりゃ、シートを敷いてオトナたちが宴会をしていたかもしれません。

門人碑群

門人たちの碑は、小径に沿って並べられたものと、どっしゃりまとめられたものの2グループありました。どれもこれも同じ石で、同じ薬研彫りのようです。中国で彫らせたそうですが、漢字はまぁまぁそれなりに理解して貰えたけれども、くねくねしたかなを理解して貰えず、なかなか上手に彫れなかったとかいう話を聞きました。

だったらニッポンで彫らせればいいのだけれども、きっとオトナの都合があったのでしょう。

碑林

公園を造園するという観点では、ちょっと物足りないような気がしなくもないですが、書の碑を眺めるということにおいてはよかったのですかね。その辺の心得が無いので何とも申しあげにくいのですが。

碑判が同じだったり台座が同じだったりするのは、平等に扱わねばという意識だったのでしょうか。

また、多くの碑が桜や楓の木のすぐ近くにならび、20年もすれば根っこがにょきにょき出てきて押し倒しそうです。その辺は、公園造営のヒトたちが、植え替えたり移設したりいろいろな計画があるのでしょう。でも、心配性なので、気になった。

碑林

たしかに、このくらいみっしりしていないと、パラリパラリと設置されても観るのがタイヘンだ、という感じがしなくもなくなくない。どっちだ。でも、「あの碑は誰かの碑の後ろにある」とか「上にある」とか、もめなかったのですかねぇ。それとも、ちゃーんと序列がある世界なのかもしれません。書道界。

彫り

それにしても、この画一的な薬研彫りは、なんとも残念な気がしてならない。どの文字を観ても、このように三角に彫られているのだ。モノの見方や予算などの都合でこうならざるを得なかったとは思います。でも、たとえば墨の濃淡を石彫の凹凸で表現するとかいう方法を考えても良かったのではないかなー。制作者はわざわざ薬研彫りにこだわったということだそうだけれども。機械彫りはダメで手彫りなら中国でもいいという考えだったようです。そういうの、理解しがたい。

まぁ、頭のおかしいやつが勝手に妄想しているよりも、もっといろいろな細かい条件がたくさん出てきてしまったことと思います。門人なんてほとんど故人なんだろうし、そうなればさらにその門下生やら取り巻きやら遺族なんかから話を吸い上げて意見をまとめ、書を選び、あわよくば資金も少し提供して貰い──たいへんだ。複雑だ。真似できない。創玄書道会、えらい。

わざわざ拓本を採って展示したりもしているそうですが、元の書を展示するのではダメだったんだろうなー。オトナの世界はたいへんそうです。

  • マップコード862 057 747

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