品格なんて、コトバが一人歩きしているというか、結局は商売の道具にしかなっておらず、「品格」というコトバを思い出せたのはいいが意味を思い出せていないニッポン人。そんなニッポン人は、礼儀とか躾とか作法とか、そういうことをもう少し思い出した方がよかろう。
昨年にも渡し箸器を発見し、なんじゃそりゃー、と呆れたわけだけれども、今度は外国のデザインサイトにて遭遇。
ニッポン人が渡し箸器を販売することについて幻滅したりしたのだが、ガイジンが渡し箸器をデザインしたら、「それはよくないマナーなんですよ」と教えてやらねば、と思いました。
とにかく、見た目が麗しくないです。みっともない。そうすることで、食事の味が変わることは無いと思いますけれども、味が変わらなければどうでもいいというわけではありません。
デザインした Omid Sadri さんは、イラン人らしい。イランではどのような食事のマナーがあるかわかりませんが、例えば欧米では何かと食事のマナーについてとやかく言うことがあります。ニッポン人もそれについてうるさく言うヒトがあります。ところが、自国のマナーや慣習についてはなかなか無関心だったりするのもまたひとつの事実でしょう。
とにかく、渡し箸は「もう要らない」の合図であり、その合図は出されることのない号令だったりするわけです。あ゛ー、ニッポンの習慣ってややこしい。
ぶつぶつ文句を言ってみましたが、実際にはベトナムの麺料理フォーを食べるためにデザインされたというようなことが書かれています。ベトナムの食事に関する習慣や行儀ってどうなっているのか知りませんけれども、このように積み上げて箸まで差してあると、ちょうど箸を持つあたりがフォーの湯気で熱くびしょびしょにならないのか心配です。湯気で熱くびしょびしょになるくらいならまだしも、フォーそのものやスープが触れて箸が汚れたりしないのでしょうか。
だいぶ心配です。
もしかすると、あまり箸を使ったことが無いヒトが考えるとこういうことになるのか? という気がしなくもないですが、どうなのかご本人にお話をうかがってみたいところです。もしかすると、ベトナム国内においてベトナム人の行動を眺めていてそこから得たインスピレーションかもしれませんけど。
提灯を象ってデザインされたという器。その心意気はなかなか感心させられますが、どうしても箸をブッ刺しているという部分が気に入らない。ここに箸が刺さっていなければ、「なかなか考えられたデザインだなー」と感心したはずなのに。不思議です。たった2本の細長い棒がモノの見方を変えるなんて。
【リンク】Pho Tableware by Omid sadri (Yanko Design)