安中市教育委員会が11月3日から8日まで、信越本線で使われていた丸山変電所跡の内部を公開するという情報を、8日朝のFMぐんまを点けていて偶然耳にした。
最終日、かぁ。日曜日、だよ。人混みが嫌いなので週末は仕事以外に出かけないようにしているけれども、今日を逃すとまた来年。来年だってちゃんと予算が付いて公開されるかどうかなんて誰も解らない。だったら、行っとく?
……ってなわけで、急にお弁当を持参して出かけてきました! お弁当を持参しないと、コンビニが無いどころか、自動車で入っていけない場所にあるからね。
「越」どころか「信」にだって行かない信越本線の終着駅にして、全国的に有名な駅弁「峠の釜飯」の本拠地、横川駅から歩いて1.6Km。意外に近かった。どうやら、熊ノ平信号所(熊ノ平駅)の位置と勘違いしていたらしい。でも、歩いていく以外に交通機関がない。
風もなく、天気も良かったので、舗装された遊歩道を快適に散歩すること十数分。かなり端正な形で建っていましたよ。丸山変電所跡。
昭和38年(1968)に使用をやめて以来、廃墟マニア垂涎の廃墟だったわけですけれども、平成6年(1994)に周辺の碓氷線設備(めがね橋など)と共にうっかり国指定重要文化財となってしまい、廃墟らしい廃墟でありつづけることを否定され、大枚はたいて修復されたということです。おいくらかかったのかは、しかるべき資料を紐解けばしっかり記されていることでしょう。
この外観はいつでも自由に眺めることが可能ですが、内部に立ち入ることは禁じられています。それができるのが、この公開期間中だけだというわけです。
この変電所は、機械室棟と蓄電室棟の2棟から成っており、横川駅近くに建造された横川火力発電所から送られた電気を変電し、蓄電して使ったという、現在では効率いいんだか悪いんだかいまいち実感としてわからない構造になっています。この棚状に区切られたところへ、電池のセルが設置されていたのでしょう。312個もあったという話です。
発電所の出力もよくわかりませんが、信越線がどのくらいの電力を必要としていたかすらわかりませんけど。
機械室棟の方は、筐体を修復したにすぎず、ほとんど何も残っていないという感じになっていましたが、新しい部品に取り替えた通風口や窓枠なんかが保管・展示されていました。それを見ると、窓枠の組み方なんか、新しい建具は簡便に作っちゃったんだなぁ、昔の建具は凝ってたんだなぁ……とわかります。
教育委員会が派遣しているボランティアの解説員もなかなかいいオジサンでした。もう、碓氷線を愛してるんだなーという感じがよーく伝わってくる解説でした。
可能ならば、ニュージーランドのタイエリ鉄道なんかのように、実車を走らせて保存できたらよいのですけれども。カネ? かかりますよ。タダじゃないですよ。そして、営業ベースでは保存できないことでしょう。観光路線として、うまく利用できないですかねぇ。トロッコ列車シェルパ君とか走らせてないでさー……。
あれ? 歩いてくるしか無いと思ったけど、トロッコ列車が走ってるじゃん。
これはオトナの事情により、鉄道として運行されておらず、碓氷鉄道文化むらのアトラクションのひとつとして運行されていますので、碓氷鉄道文化むらに入園するという前提で乗車しなければなりません。……っていうコトなんじゃなかったかと思います。詳細は、碓氷鉄道文化むらへお訊ねください。
丸山変電所跡の360°くるくる写真パノラマVRの撮影もしてきましたので、ちぇけら。
欲を言えば……説明の展示パネルを、蓄電室内でほぼ唯一、目で見てパッとわかる大きな特徴の壁を区切られた部分の目の前にドカンと置くのはどうなんでしょう? パネルの裏側はボランティアの休憩所になっていましたが、休憩所に行くパネルの隙間から覗き込んで見学する、という感じになっていました。(パノラマVRをご覧いただくとどんな配置になっていたか体感できます)
可能ならば、パネル類は見学ポイントの乏しい機械室にまとめて展示することとし、蓄電室のあの特異な構造をもっとアピールした方が文化財を見学する価値が向上するのではないか、と思いました。
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雰囲気のある場所ですね。
富山にある「発電所美術館」と同じような使い方ができる場所かなあと思ったよ。