11月になると年賀はがきが発売となり、年末モードのスヰッチが入ってゆきます。フォトピエールでも年賀状のデザインや印刷等をご依頼いただくことがあり、ご注文があればお引き受けしている状態です(あと喪中はがきとか)。
そんななか、我が老母が何やら意見を求めてきた。
来年の年賀状に「おめでとう」などと言う文言を使うのは
いかがなものか、という話がチマタでは出ていますよね。
知らん。どのチタマ チマタがそんなコトを言っているのだ! でも、ニッポンのニッポン人なら言いそうなことではある。そして、言葉狩りをして解決したような感じになって気が済んじゃうのも、またニッポン人なのです。
「あけましておめでとう」は、あんたがめでたいわけではない
- 「お誕生日おめでとう」とか
- 「優勝おめでとう」
- 「合格おめでとう」
- 「結婚おめでとう」
とか、いろいろな場面で「おめでとう」と発言するわけだけれども、それはその対象がめでたかったりすることが多い。それで、おめでとうと言われた方は「ありがとう!」と応えるわけです。
ところが、「あけましておめでとう」は、年が明けたことを共に慶ぶあいさつなので、「あけましておめでとう!」と言われても「どうもありがとう」とは返さない。やはり「あけましておめでとう」と返すわけです。
ここで「あけましておめでとう」が禁止となると、こんなところまで飛び火するかも。
- ますますご清栄のこととお慶び申し上げます
- 選挙で当選して万歳三唱する
お誕生日を祝うことすらNGになりかねない。優勝祝賀会も禁止になりかねない。いやいや、「ご清栄」すら廃止とされかねない!
ニッポン人って、頭の上にお花畑が広がるほどに、めでたいくらいにクソ真面目なんだ。『21世紀になったから「20世紀梨」を「21世紀梨」に改称しなくては!』と心配をしちゃう民族なのだ。
「おめでとう」の語源を、振り返ってみよう
「御目出度う」とか当て字のおかげで、さっぱり意味がわからなくなっている「おめでとう」ですが、語源を考えるともう少し納得できるかもしれない。
- 愛づ(めづ)+甚し(いたし)
これが合わさった「愛で甚し(めでいたし)」が変化した、というのが通説です。
「愛でる」はその通り、いとおしくまたすばらしいと思うこと。「甚し」は違う読み方では「甚だし(はなはだし)」ということからわかるように、「とても」という意味なので、合わさると「とてもすばらしい」という意味なのが「愛で甚し」ですね。
でも、あんたがめでたいわけではない
では、何がそんなにすばらしいのか? それは年が明けたことそのものだ。年賀状を年末に書く習慣になってしまったので何のコトなのか忘れがちだけれども、
- 年が明けたことを慶び
- 今年も変わらぬお付き合いをお願いする
のが年始のあいさつだ。そのあいさつをいちいち全員に対して巡ることが難しいので、はがきで済ませているだけなのだ。それでも「おめでとう」にこだわるあまり、
もし、変えるのなら、
「謹んで新年のごあいさつを申し上げます」 かなあ・・。
という考えの我が老母。
そうしたいのならばそうすればよいのだけれども、
- (災害にかかわらず)病気や怪我をしたヒト
- 事業がうまくいかなくなったヒト
- 試験で頑張ったけれども不合格だったヒト
- 離婚したヒト
……などなどに宛てて、やはり等しく「あけましておめでとう」とあいさつするわけです。今まで忘れてたと思いますけど。それで、たまたま東北で大きな災害があったから「あけましておめでとう」を禁止するのが妥当かな? だったら1995年のあの震災のときはどうだっただろう? あれは1月の出来事だったから、次の正月までには消化できてたってことだろうか。ことしは、11月になってもまだ8ヵ月だぜ、とか?
言葉狩りは簡単な解決法だけれども、結果として何も解決していない
たぶん、本気で「あけましておめでとう」を禁止しようとしているヒトはそんなにいないと思います。ただ、世間が騒ぐから余計な心配をしてコトが大きくなっちゃっていることでしょう。ここで「あけましておめでとう」を禁止するならば、誕生日や成功を祝うことも禁止することにも注力してもらいたい。とくに、誕生日ね。まずあれをキッチリ禁止になるんだったら、あけましておめでとう禁止に加担しますよ。
でも、年賀状でいくら「あけましておめでとう」を禁止したところで、じゃあ年が明けたらどうなるの? 何つって年始のあいさつをしたらいいの?
「あけまして、どうも。」ごにょごにょ
とか?
ちなみに、うちの両親の年賀状は、すでに作っちゃいました(気が早い)。だから、よほど特別な何かがない限り「あけましておめでとうございます」のまま使用することとなる予定です。
わりと最近、似たような宣言をしたな、と思ったら、昨年は喪中はがきの謎について考えたんだった。なんなんだよ、毎年こんな悩みなんだな。でも、年賀状という文化が、デジタル化や情報化によってゆるやかにどちらかの方向に舵を切っていることは間違いないようです。
➡ 喪中葉書案内