街や海や山や川などなどでの清掃活動は大切なことだと思います。
でも、あまりにも「やってます感」を出すことにはモンダイないか?
道路側溝に煙草の吸い殻を投げ入れて、自分からは見えなくすることで片付けたことにするヒトは多い。アースコンシャスアクトに参加の小学生は「ゴミを拾っていいことをした気分」とラジオの取材に答えちゃっているけれど、オトナもだいたい同じなのだろう。
でも、それを世に広めるということは、「そうやって誰かが拾ってくれるだろう」と思って、安心してそこらへんにゴミを捨てられる安心感も広めている。
「拾うことがいいこと」という言い方はやめて、「捨てるのは悪いこと」という流れを作らないと、環境美化は達成できない
達成したくないんだろうけど。捨てられたゴミがなくなっちゃったらゴミ拾いイベントできなくなっちゃうからね! 安倍御晋三様が掃除大臣とか言って川原にゴミを拾いに行ったときも、他者のゴミ拾いを禁じたという話だしね。
アララ、安倍首相のゴミ拾いパフォーマンスのために、小学生らがしかられちゃった――安倍首相は3日午前、地元小学生らに交じり、丸川珠代ら参院東京選挙区候補者と東京・世田谷区の多摩川河川敷でゴミ拾いの清掃活動に参加した。
冒頭、「美しい日本をつくっていくため、きれいな日本をつくっていくことが大切だ」と得意満面で挨拶した首相だが、安倍首相が作業を始めるとゴミがない……。河川敷は先日も清掃したばかりで、しかも先に作業した人たちがゴミを拾ってしまっていた。それに気付いた関係者が「ダメだよ拾っちゃ! ここは総理が拾うところだ!」と絶叫。拾った人は渋々ゴミを袋から地面に戻した。
安倍首相の当日の姿はシャツと革靴。参加者の中には首相のやる気を疑問視する声もあった。ゴミ拾いに挑戦してゴミをまいてきた小学生たちは、首相が叫ぶ「美しい国」をどうとらえるのだろうか。
[2007年6月7日10時1分配信 日刊ゲンダイ]
2007年から状況は何も変わっていない。そういう意味では、コスモ石油のコマーシャルとしてはよく機能していても、本質的には何も変わっていないのではないか。もちろん、何も変わらず、延々とゴミ拾いイベントを続けられることが目的ならば、それはそこそこの成功と言えなくもないわけですけど。
自動車運転者の皆様が中央分離緑地帯をゴミ箱だと思ってじゃんじゃんゴミを捨ててるのは、次に通った時にはきれいに片付いてるからなんじゃないかと思う訳なのです。道路沿いの植え込みの吸い殻が無くならないのは、「今、大勢で拾ってますよ!」とおそろいの派手なビブスを着ておそろいの派手な帽子をかぶった集団がこれ見よがしに清掃活動を展開しているからなんじゃないかと思うわけなのです。
……ってカンタンなことではないですよね。割れ窓理論で言えば、散らかれば散らかるほどゴミが捨てられやすくなるわけなので、手早くキレイにしなきゃならないわけです。
そんなことは、受刑者にでもやってもらえばいいんじゃなかろうか?
環境に良いこと?「ゴミの分別を頑張ってます」
現代においては、ゴミ減量が目的のゴミ分別が、すっかり「分別のための分別」になっている。本当にそんなんでいいのか? 分別さえすれば、リサイクルしてますって言えば、無駄遣いが赦されちゃう状況でいいのか? いいんだろうな。
エコ活動はエコノミー活動の略。経済が最優先。
牛丼チェーンが「割り箸やめて、使い捨てではないプラスチック箸にしました」とすれば、世の中は「割り箸製造だってエコ活動」「口紅とかちゃんと洗ってくれるか心配」と非難する。肝心なゴミ減量という視点が、ネットでもリアルでも抜け落ちすぎなんじゃないか。
しかし、まだデザインで世の中を動かすチャンスがありそうなので、地味に頑張るマン!