誰が悪いとかそういう話ではありません。ただ、サインには景観を維持するよりももっと大切なことがあるのではないかということを無視出来ないんじゃないかと思います。
ある道の駅のトイレの入口。「せっかくカッチョイイ案内表示なのに!」と憤るまでもなく、何が書かれているのかよくわかりませんので、市販の表示プレートをホームセンターで購入してきて貼り付けた、ということのようです。
それでは足りないので、事務所のワープロでA4用紙にプリントアウトして、さらに追加したようです。
デザイナーはもっと生活体験をしましょう
デザインすることがデザイナーのシゴトであることは間違いありません。しかし、何のためのデザインなのかということをよく考えなければならないと思います。
もしもこれがゲージツなのだとすれば、それは見るヒトが勝手に解釈すればよいということになるでしょう。しかし、案内表示はゲージツである前に、そのメッセージが相手に伝わらなければならないということを忘れがちです。
でもね、もちろんわかりゃいいってもんでもないということも言えてます
見やすさ・理解しやすさというのはそう簡単なことではないのです。だからデザイナーという職業が成立しているのではないかと思います。
わかりやすさのために、たんに
- 大きく
- 赤文字で
- たくさん
表示すればいいというわけではないのです。そこには、メッセージ性とか統一感、視線の移動等を考えた表示がなければなりません。
ホント、たくさん書けばわかるわけではない。
これはDPZで「必死に呼びかける」と紹介された地下鉄鉄道ホームの案内表示。しょっちゅう尋ねられるだけでなく、わかりにくいと批判され続けたのかもしれません。
こんなの、どうせ階段が続いているわけなので、このようにしたらよかったのではないかと思うのです。この場合、鉄道と商業施設は系列会社なんだから、費用折半とかそれほど難しいことじゃないのではないかと思うのですけどねえ? 鉄道会社と商業施設が系列会社だったらもうちとなんとかなったのでしょうか……。
やり過ぎると、それが案内表示ではなく屋外広告とみなされたりして面倒なことにつながりかねないという事情もあるかもしれません。でもそうしたらロゴはナシにすればいいようにも感じます。または、商業施設に経費をもらって、駅の美化維持費用とするのも悪くない選択だと思いますが、いかがでしょうか?
思い切って、「ヒカリエ出口」と改称したい気もしなくはないのですが「口」がカタカナ「ロ」っぽくて収まり悪いですよね……。